【映像クリエイター】吉田ハレラマ・映像戦国時代をケロリと生きる

インタビュー

アーティストの世界を表現する映像の効果

今回でインタビュー企画第4弾になりました。

嬉しくも色々な方に話を聞いて思うのは、

作品への想いって

 

「聞き手は知らなかったな」

 

って思ったんです。

 

でも音楽を支えるコンテンツは豊富にある。

その中で最も重要なのが「映像」なんじゃないかなと僕は思うんです。

 

そんなわけで、今日はインディーズバンドをはじめとする様々な映像を撮影している。吉田ハレラマさんのオフィスに取材行ってきました!

 

 

イッセイ:今日はよろしくお願いいたします

 

吉田ハレラマ(以下ハレラマ):よろしくお願いいたします

 

イッセイ:最初に僕ここに来るまで全部のMV見てこようと思ったんですけど、とてつもなく多いので無理でした…今は大体どれくらいあるんですか?

 

ハレラマ:数えてないなあ…YouTubeに再生リストを作っているんですけど、どれくらいありました?

 

イッセイ258ありました…(2019年1月現在)

 

ハレラマ:でも、それ解散したアーティストとの映像を引っ込めたりもしているので、それ以上はありますね。

 

 

イッセイ:マジッすか

 

ハレラマ:YouTubeから通知が来るんですけど、あれ何消されたのかわからないんですよね

 

イッセイ:じゃあもう、追えないですね…

ハレラマさんはいつから映像の世界に足を踏み入れたんですか?

 

ハレラマ:元々大学生の時に、映画を作るサークルに入っていたんです。

そこでは自主制作の映画とかを作っていました。

でも、僕元々は絵を描くのが好きで、漫画家になりたいと思っていたんです。

 

イッセイ:え?

 

ハレラマ:ただ絵が好きすぎて…漫画とか大好きなんですけど、

でも好きだからこそ、プライドがあるじゃないですか?

全然絵も上手くならないし、才能もないから無理だなって思ったんです。

でも、何か作りたいなと思って、で映像だったら

「録画ボタン」押すだけで撮れるなって思って

 

イッセイ:大丈夫ですか?それ言って(笑)

 

ハレラマ:マズイですかね?でもいいんじゃないですか?

 

イッセイ:ありがとうございます。(笑)

僕もバンドやっていた時に映像クリエイターの方って専門学校を卒業した方が多いなってイメージだったんですけど、

ハレラマさんは特に専門学校で学んできたわけじゃなかったんですよね?

 

ハレラマ:そうですね、大学の社会学部だったんですけど、関係はありませんでした。

ただ、完全に独学で学んだ訳ではなくて、

同じキャンパス内にメディア社会学科っていうのがあったんですが、そこにはメディア・リテラシーを学ぶ講義があって、

マスコミの世界では有名な方がいたんです。

「マスコミの世界に就職するなら映像制作についても学ばないとダメですよ。」っていう講義で、

その世界を目指すプロデューサー志望の人と一緒に授業を受けてました。

 

ハレラマ:その映像の講義のひとつにイシバシミツユキ監督っていう現役バリバリの映像クリエイターの方の授業があったんです。

ですが、周りの学生はクリエイターになりたいわけじゃなかったので、人数が少なくなって来た辺りから

色々個別で教えてもらっていたんです。(笑)

 

イッセイ:師弟関係が結ばれたわけですね(笑)

 

ハレラマ:僕は弟子入りできたわけじゃないんですけど、勝手に師匠って呼んでいます。

そしたら、映像の世界って面白いなあって思って

 

イッセイ:へぇ、じゃあイシバシ監督の元で修行をして、デビューしていくわけですね!

 

ハレラマ:なんかスゴいそれがふわっとしていて…

そもそも僕、最初はあんまり映像を仕事にしようと思っていなくて…

 

イッセイファッッッッ!!!!??

 

ハレラマ:趣味で映像を作れればいいなって思っていたんです。

実際、大学の時の自主制作の映画もそれで作ったし…

公務員とかいいなあって思いましたね。

 

イッセイ:(大丈夫かなあ…)

 

ハレラマさんは優しそうな人柄のわりに髪色は赤のソフトモヒカンという、ギャップがゲシュタルト崩壊(死語)していました。

 

 

ハレラマ:でも映像の仕事ってどんなのかなって思って、

大学卒業前にウエディングのエンドロールを作る浅草に支社がある会社にアルバイトとして入社しました。

コミュ障っていうのもあったんで、色んな人の前で喋らないといけないと自分に鞭を打って働いてましたね。

 

都内のあちこちの式場に行って「手を振って下さーい!」とか決まり文句ですら全然喋れなかったです。(笑)

で、周りは就活していて、映像もフリーランスでやる人ってあまりいなかったから、

僕もマスコミの会社とか有名な企業を10社くらい面接受けましたね。

これがことごとく落ちて…

そもそも、やりたいことがマスメディア系のことじゃなかったんです。

終いには面接の途中で「君はうちみたいな会社じゃなくてクリエイターになりたいんじゃないかな」って言われて…

でも、クリエイターっていう職種なんてないじゃないですか。

どこに行けば働かせてもらえるんだ!っていう(笑)

 

イッセイ:確かに(笑)

 

ハレラマ:休日は式場を回って、平日は記録動画を編集したりしたんですけど、

年末普通に仕事納めして、仕事始まり直前になって

あれ、なんかこれ違うな…」って思ったんです。

これから正社員になった時に待遇とか考えてモチベーションどこに置いたらいいのかっていうのがわからなくなって、

ブッチしちゃったんです。

 

イッセイ:面白い!(笑)

 

ハレラマ:で、仕事している中で出会った別の映像クリエイターの人の紹介で、

セミナー動画を撮影する会社にアルバイトとして入社したんです。

WEB系の会社だったんですけど、映像の部署があってそこに勤めたんです。

待遇も良かったし、残業もないホワイトな職場でした。

ただ、全然やりたいことじゃなかった

 

ハレラマ:セミナー動画とかずっと撮っているだけで、合わなくなっちゃって…

それで卒業後は正社員の話もあったんですけど、

モヤモヤとしたまま、シフトを週3くらいに減らしてもらって

1年くらいそこではアルバイトとして、働いてました。

その期間に並行してミュージック・ビデオの制作もやるようになったんです。

映像クリエイター:吉田ハレラマの誕生

「違うな」と思った違和感を信じ、仕事と並行しながらも晴れて映像クリエイターとしての活動をはじめたハレラマ監督。

いったいどういう下積み時代を過ごしたのか。

 

ハレラマ:当時は本当に安価で受けてました。正直、映像1本・経費込みで5万円くらいで受けていましたね。

 

イッセイ:うわ!マジですか!それはキツイな…

 

 

ハレラマ:でも、僕はそのギャラですら貰えないと思うくらいに技術が拙かったんです。自信がなかった。

もし、アーティスト側からしたら「これで5万かよ」って思われても仕方ないクオリティでした。

当時の金銭感覚からなかなか値上げを交渉することも出来なかったんです。

 

イッセイ:なるほど…

 

ハレラマ:で、仕事のストレスからも当時結構まいっちゃっていて…

でも、大学を卒業して2年後に結婚することになったんです。

多分その時の僕の様子を見た妻が気遣ってくれて、結婚を機に奥さんの実家がある栃木に移住することになったんです。

僕は正直、それに助けられました。

 

今まで映像は東京での案件ばかりやっていて、栃木に住むことになったら「もう、仕事もないだろうな」って思っていましたし、

何よりセミナー動画を撮影する会社のアルバイトも並行して続けていたんで「やりたくないって思っていた仕事も辞められる!」って思ったんです。

物理的に通えないですしね。(笑)

 

 

イッセイ:じゃあ、そこでもう会社勤めを辞めて休息期間に入ることになったんですか?

 

 

ハレラマいえ、まだ続くんです()

 

イッセイ:ください(笑)

 

ハレラマ:次に会社の話の前に

今もさっきまで打ち合わせしていたんですけど、

僕がお世話になっている人がKING RECORDにあるインディーズレーベルの中で新しいレーベル「ROCKBELL records」を立ち上げることになったんです。

 

 

ROCKBELL records

モーモールルギャバン・オトループなどが在籍しているインディーズレーベル。

 

歌謡曲や演歌がジャパニーズスタンダードだった70年代に「はっぴぃえんど」「高田渡」「小室等」「あがた森魚」らを輩出し、

日本語のフォーク/ロック創世記を作った『ベルウッド・レコード』。

日本では難しいとされるレーベルファンは数知れず。今なお多くの音楽ファンや音楽業界の方たちからレーベルフォロワーとして支持をうける

『ベルウッド・レコード』が次世代に向け雄叫びをあげるロックレーベル『ROCKBELL』!

 

曲名:Re

 

 

 

 

ハレラマ:そのレーベルからのオファーで3~4本撮影の一気に依頼がきたんです。

そしたら調子に乗っちゃって(笑)

もしかしたら見えてきたかも!って思ったんですけど、当時は今みたいなスピード感では作れなかったんです。

 

イッセイ:依頼もそれ以外なかったんですか?

 

ハレラマ:そうですね、でもゆっくりしていたら、栃木に来た時に知り合った横田悠二くんっていうアーティストを完全に友達として制作することになったんです。

 

曲名:ハコモノ

ハレラマ:彼のMVを作ったら、それを見た、あるWEB制作会社の社長から「動画を使った事業を立ち上げたい」ってお話をいただいて、

そこから2年半くらい会社員をやってました。

実は僕、完全フリーランスの映像クリエイターになって、まだ2年くらいなんですよ。

現在とは違う場所・吉田ハレラマの会社員時代!

ハレラマ監督の映像については再生リストを見てわかる通り、本数がとにかく多い。

下積み時代は安価な依頼を受けつつも、自分の作品がその単価に見合ったものなのかを、向き合い続けていた。

結婚を機に栃木へ移住後はWEB制作会社へ入社することになる。

 

ハレラマ:当時はMV制作に関しては持ち込みだけでやらせてもらい、

WEB制作会社の動画制作のために入社しました。

でも、会社ってそもそも理不尽じゃないですか?

 

イッセイ:そうですね!

 

ハレラマ:理不尽というか、意見が通らないこともあるし、それは一人で仕事しているわけじゃないんで当たり前なんですけど

でも、そこがどうしても気になってしまって…

結構悩んでいたりもしたんです。

ほら、でも僕、経歴はお話しした通りヒドイじゃないですか。(笑)

 

 

ハレラマ監督のこれまでの経歴
  • ウェディング系の会社をアルバイトのまま退社
  • セミナー動画系の会社を移住を理由に退社

 

で、雇用が決まったときに「この会社でダメなら、僕はもう会社員という働き方は向いてないんだろう」って覚悟を決めて働いていたんです。

でも、1年〜2年いたら、流されてしまって自分がどうしても許せなくなったんです。

 

イッセイ:いやあ…(想像つかんな)

 

 

ハレラマ:「自分はこれではダメだ」って思って、そこから会社は辞めました。

でも、フリーになりたい!っていうよりも別に今でも僕は毎月給料が貰えて、

ボーナスも貰えるならそこに行きたい。(笑)

 

これまで色々な業種を渡り歩いていたハレラマ監督であったが、その中でも悩みながら、MV制作を行ってきた。

サラリーマンとして働いた後、いよいよ2016年から完全にフリーの映像クリエイターとして活動を始める。